長野から帰ってきたと思えば、松江で一泊したあと、今度は名古屋に出張でした。
名古屋へは、いつもはやくもを利用していましたが、今回は大阪まで飛行機で大阪名古屋間を新幹線にしました。やっぱり、やくもと違って飛行機利用だと身体がかなり楽でした。
さて、今回の名古屋出張は、酒井法律事務所さんの開業80周年記念祝賀会に出席するためでした。場所は名古屋東急ホテルでした。
所長の酒井俊皓先生とは、私が弁護士登録して数か月の頃からのお付き合いで、日弁連のスポーツ絡みの活動や、中小企業支援委員会の活動でご一緒させていただいております。特に、中小企業の全国キャラバン(中小企業関連団体との意見交換会)では酒井先生が座長で、長くそして太いお付き合いをさせていただいており、私は、酒井先生のことを、弁護士としてというだけでなく、人生の師匠としてお慕いしております。
酒井法律事務所は、酒井俊皓先生のお父様が昭和9年に開業し、昭和49年に俊皓先生が二代目所長として事務所を引き継がれ、かれこれ80年になるそうです。ちなみに、私が生まれたのが昭和49年なので、私の人生と同じだけ酒井先生が弁護士人生を送っておられます。酒井先生に敬服するばかりです。
弁護士事務所というのは、大規模事務所でない限り、所長の子供が弁護士にならなければ1代で終わってしまうので、80周年を迎えるというのはとてつもなく偉大なことです。
ちなみに、酒井先生のご長女が現在横浜で弁護士をされているので、おじいちゃんから孫まで3代にわたり弁護士ということになります。方々から、「100周年、120周年」という声が聞こえました。ご長女が事務所を継がれれば…
祝賀会の最後に、酒井先生が壇上に上がり、所員へのコメントや挨拶をされました。そして最後の最後に、後ろの方の席にいたご長女に声を掛けられ、ご長女が最後の挨拶をされました。
周りが期待するような発表はありませんでしたが、酒井先生、そしてご長女の気持ちがよく伝わってきました。
今回の祝賀会、出席者が150人くらいの盛大な会でした。結婚式並みの席次表が配られ、名古屋の政財界、スポーツ界の方々が多数お見えになっていました。
うちの事務所はまだ5周年を迎えたところです。75年後はどうなっているのでしょうか。
酒井先生のように、私もおそらく、30年後くらいに、「子供たちに…」となっていることでしょうね。
弁護士の間では、「最近の弁護士業界をみていると子供を弁護士にするのは…」という発言をされる方が多いですが、私は自分のやっている仕事に誇りを持ちたいですし、子供に自信を持って継がせられるように事務所作りをしていきたいと思います。 祝賀会の後は新幹線に乗り、大阪まで帰りました。夜のうちに大阪まで帰って、翌朝、伊丹から飛行機の予定だったからです。
梅田の新阪急ホテルに宿泊なので、大阪駅を降りたところ…
私の記憶では、ホームから下に降りる階段があったはず…そして新阪急へは、階段を降りたところの改札を出て左に進み、右の歩道橋を上がって、マクドの手前で階段を降りれば新阪急だったはず。
ところが、ホームから下に降りる階段が見つかりません。下じゃなくて上に上がるエスカレーターが…
完全に浦島太郎状態です。去年、大阪駅が大きく変わったのですね。宣伝していましたよね。
階段を上がって改札を出て、案内を見てみると…
「ノースゲート??何やそれ?新今宮のフェスティバルゲートやったら知ってるぞ。」
「難しい言葉使わんと、北口って言わんかい!」
仕方ないので、近くのおねえさんに、「すんません、新阪急ってどない行ったらよろしいの?」ってきいてしまいました。優しく教えていただいた甲斐あって無事に新阪急にたどり着けました。おねえさんありがとう。
私が安心して出張で出掛けられるのは、谷屋弁護士やスタッフのみんなが事務所を守ってくれるからです。感謝しきりです。